大森元貴が不登校だった理由!学校に行くきっかけは若井滉斗だった?

大森元貴 不登校

高い歌唱力と人の心をうつ楽曲で、令和を代表する大人気バンドとなったMrs. GREEN APPLEのヴォーカル大森元貴さん。

抜群のルックスと高い演技力を活かして、音楽だけでなく映画の主演を務めるなど精力的に活動しています。

そんな大森元貴さんですが中学生時代は不登校で、同級生だったメンバーの若井滉斗さんがきっかけで学校へ行くようになります。

中学生時代の2人にいったい何があったのか気になりますよね!

そこでこの記事では、大森元貴さんが不登校になった理由から、学校に行くようになったきっかけ、実は小学生の頃から知り合いだったエピソードまで、徹底解説します!

この記事でわかること
  • 大森元貴が不登校だった理由3つ!
  • 大森元貴は若井滉斗との出会いで学校へ行くようになったエピソード
  • 大森元貴と若井滉斗は小学生の頃から知り合いだったエピソード

などをまとめています。

目次

大森元貴が不登校だった理由3つ!

画像引用:ENCOUNT

音楽にのめり込んだ+その他の理由も重なり不登校になった

大森元貴さんは中学生時代、不登校でした。

当時のことはテレビや雑誌のインタビューでも話しているので、なんとなく知っている方もいるかと思います。

音楽にのめり込んだことがきっかけと言われていますが、調べると他にもいくつか理由が重なり、不登校になった時期があったようです。

続いては、どういった理由で不登校になったのか、その理由を3つ詳しくお伝えしていきます。

  • 学校に行く必要がわからなかった
  • 不登校が続くと行きづらくなった
  • 音楽にのめり込んだ

学校に行く必要がわからなかった

小学生の頃から道徳の授業が好きで、中学生になると哲学の本を読んでいたそう。

多感な時期に哲学とふれたこともあってか、同級生とは話があわないと感じてきます。

小学生のときに友だちの家に遊びに行っても、隣で話しているお母さんの会話を聞く方が楽しかったぐらいですから(笑)。正直、中学に行かなくなった理由も、同級生と話しても自分の話が伝わらない感じがしたということもあるんです。

引用:オーデションTV

さらに7歳と14歳上のお兄さんの影響で、同年代の子たちより文化や考え方が進んでいたことも要因の1つのようです。

話があわないことで学校に自分の居場所をみつけられずに、学校に行く意味が分からなくなっていった

そうして音楽にのめり込んでいったことで、さらに学校へ行く必要を感じなくなっていったんだよ…

不登校が続くと行きづらくなった

休んでしまったことに罪悪感を覚えて、学校へさらに行きにくくなってしまう人もいます。

大森元貴さんも、ラジオで過去に不登校だったリスナーさんとの会話の中で、こんな発言をしています。

大森「僕もやっぱり不登校経験あるんで、1回休んじゃうとさあ、段々行き辛くなっちゃうよね?」

ちぇる「はい」

大森「なんていうの、教室じゃない別室とかでさ、勉強する日もあったり俺はした訳。」

引用:SCHOOL OF LOCK!

たまに学校に行っていたようですが、教室ではない別室で勉強をしていた大森元貴さん。

1回だけあまりに学校に行かないことを心配したお兄さんに殴られ、泣きながら登校したこともあるそうです。

普段は優しくて仲が良い兄の愛のムチね!

今は笑い話として語られてるよ!

音楽にのめり込んだ

小学6年生の謝恩会で披露したバンドがきっかけで、曲作りの楽しさやステージに立つ快感を覚え「この道(音楽)で行くんだ!」と決心します。

そして、中学生に入ると曲作りに没頭するあまりに、学校がどんどんおろそかになっていき…

家に籠もって楽曲作ってて。中1終わりぐらいから「学校嫌だなあ」とか思ってきて。自分がやりたいことちゃんとあって、そこに時間かけなきゃいけないのわかってんのに……って思って。

引用:ROCKIN’ON JAPAN

優先順位が学校よりも音楽が高くなって、学校に行く意味を見出せなくなってしまった

また、曲作りは「自信がなかった当時、無理矢理にでも自信を持てるようにした行動」の一環だったと振り返っています。

中1の終わりには当時の事務所のオーディションに合格してたんだって!

その頃はオリジナル曲が30~40曲もあったんだよ!

そんな大森元貴さんですが、こんな状態で学校へ行くようになるのでしょうか?

大森元貴は若井滉斗との出会いで学校へ行くようになった?

若井滉斗さんの涙ぐましい努力の結果、大森元貴さんは学校へ行くようになる

中学1年生で同じクラスだった2人

当時、若井滉斗さんはサッカー部所属で女の子にモテモテの陽キャ。

陽キャが大嫌いだった大森元貴さんは若井滉斗さんのことも嫌いだったそうです。

席が前後になったときは大森元貴さんが、若井滉斗さんをペンでチクチクさしていたずらしていたそう…

本人達いわく、それでちょっとだけ仲良くなったらしい(笑)

中学3年生でまた同じクラスになった2人

既にギターを始めていた若井滉斗さんは、大森元貴さんが作った曲のファンでどうしても話がしたかったそう。

大森元貴さんは作った曲を動画サイトにあげていて、その音楽がスゴイと学校でも評判だったんです。

そこから、なんとか仲良くなろうと涙ぐましい努力をしていく若井滉斗さん…

どういうきっかで2人は仲良くなっていったのかな?

毎朝ピンポンしに!

学校に中々来ないので、迎えに行くことにした若井滉斗さん

通学路の正反対でしたが毎朝ピンポンを押して「今日行く?」と聞いてから学校へ通っていました。

当時は若井滉斗さんに苦手意識があったので「行かなーい」とつれない返事をしていましたが、当時を振り返ったラジオでは「今考えるとすごい(ありがたい)ことだったなって思う」と感謝の思いを語っていました。

このエピソードは「恐怖のピンポン事件」としてテレビで語られていたよ!

クラスメイトから仲間へ

いまいち距離が縮まらない2人でしたが、中学3年生の修学旅行で同じ班になって当時流行っていたスーザン・ボイルさんの話題がきっかけ意気投合

そこから仲良くなり、2人で演奏する楽しさを覚えて音楽仲間になっていきます。

「中学3年生のときは、若井がいるから学校へ行こうって思ってた」と言うぐらい、ただのクラスメイトから音楽仲間・友達へと変わっていきました。

卒アルには映りたかった!

あるときふと、学校をおろそかにしていることに気づいた大森元貴さん。

「卒アルには写らないのはイヤだ!」と思い、行事だけは参加するようになります。

修学旅行に参加したのも、卒アルに写真を残したいという無邪気な思いからだった

次は2人の小学生の頃の驚きエピソードだよ♪

大森元貴と若井滉斗は小学生の頃から知り合いだった?

空手大会の写真を見て初めて知り合いだったことに気が付く

別々の小学校に通っていた2人は、中学校で初めて出会い友達になったのかと思いきや…

実は小学生の頃から知り合いだったことがのちのち判明します。

2人とも小学生のときに習っていた空手が縁で出会っていたそうです。

それって、奇跡じゃない!!

空手の大会で出会っていた

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