紅白出場や話題作の主題歌で一躍注目を集めたバンド「Omoinotake」。
メンバー3人は全員が、島根県松江市の出身なのですが、バンドが結成されたのは東京なんです!
この記事では、藤井怜央さん、福島智朗さん、冨田洋之進さんの出身校や学歴、そして出会いからバンド結成に至るまでをわかりやすく紹介します。
また、バンド名「Omoinotake」の由来や、路上ライブ時代のエピソードなどもお伝えします。
- Omoinotakeメンバーの出身校
- Omoinotakeメンバー3人の関係と学生時代のつながり
- Omoinotake結成秘話
- Omoinotake下積みからデビューまで
などをまとめています。
Omoinotakeメンバーの出身校とプロフィールを徹底紹介

Omoinotakeは3人で構成されたピアノトリオバンドです。
- ボーカル兼キーボード:藤井怜央(ふじいれお)
- ベース:福島智朗(ふくしまともあき)
- ドラム:冨田洋之進(とみたひろのしん)
3人全員が島根県松江市の出身で、地元で知り合って長年の友人関係を築いてきたメンバーです。
3人それぞれの出身中学校、高校、大学をご紹介します。
藤井怜央の出身校

- 出身小学校:松江市立雑賀小学校
- 出身中学校:松江市立第三中学校
- 出身高校:島根県立松江北高等学校?
- 出身大学:中央大学
藤井怜央さんは、松江市立雑賀小学校を卒業していることが分かっています。
地元の新聞で掲載されるくらいなので、地元では出身校をよく知られているのでしょう。
中学は学区内の松江市立第三中学校に通っていたと考えられます。
中学校は福島智朗さんと同じ
中学時代には「X JAPAN」の音楽にハマり、そこから本格的に音楽を始めたようです。
出身高校は公表されていませんが、島根県内の超進学校と言われています。

ヒントは松江市立図書館の近くと島根出身のアナウンサー森谷佳奈さんと同じ高校!
このヒントから…
と言われています。
島根県立松江北高等学校は偏差値が69と高く、島根県でもトップレベルの進学校として知られています。



高校卒業後は一浪して大学進学で上京したよ!
と考えられています。
福島智朗の出身校


- 出身小学校:不明
- 出身中学校:松江市立第三中学校
- 出身高校:松江工業高等専門学校中退
福島智朗さんは前述した通り、藤井怜央さんと同じ中学校に通っていたことが分かっています。
そのため…
したと考えられています。
高校は松江工業高等専門学校に進学していましたが、3年の時に中退しています。



偏差値60の高専に入学していたことからも学力の高さがうかがえるね!
その後、18歳で上京して音楽以外のことを学びたいということで、松江工業高等専門学校中退に進学しました。
福島智朗さんは、フルネーム「智朗(ともあき)」なので「アキ」と呼ばれていましたが、現在は「エモアキ」という通称で知られています。
富田洋之進の出身校
- 出身小学校:不明
- 出身中学校:不明
- 出身高校:松江市内の高校
ですが、島根県松江市内の学校に通っていたこと思われます。
小・中学校は他の2人と違うようですが、中学時代にドラム教室が藤井怜央さんと同じだったそうなので、同じ市内の近隣中学校だった可能性が高いですね。



中学時代藤井怜央さんはドラムを担当していたんだよ



ORANGE RANGEをコピーしていたのがドラムを始めたきっかけみたい!
高校卒業後は上京し、尚美ミュージックカレッジ専門学校のジャズ・ポピュラー学科に進学。
富田洋之進さんはピエール中野さんの影響を受けているようで、ピエール中野さんから贈られたドラムスティックは宝物なんだそうですよ!
3人の関係と学生時代のつながり
藤井怜央さんと福島智朗さんは中学校が同じで、友人でした。
一方、藤井怜央さんと冨田洋之進さんはドラム教室で出会っていることから、藤井怜央さんを通じて3人の関係性が強まったのでしょう。
中高の頃は各々別のバンドをやったり、一緒にやったりだったんです。
引用:FunplusMusic
富田洋之進さんと福島智朗さんは藤井怜央さんを通じて友人関係を築いたと考えられる
Omoinotake結成のキッカケは?上京からメンバー再集結まで!


Omoinotakeがどのようにして結成されたのか気になりますよね。
藤井怜央さんと富田洋之進さんはもともとはどちらもドラムを担当していたのに、なぜ一緒にバンドを組むことが出来たのでしょうか?
ここからは、上京から結成に至るまでの経緯と裏話をお伝えします。
高校は別々で上京したタイミングも違うものの、再び集まってバンドを結成しています。
中学時代のバンド「CRY」
藤井怜央さんと福島智朗さんは、中学時代に「CRY」という名前のバンドを結成していました。
一緒にバンドを組んでいる時期もあったり、他のメンバーと組んでいたりと各々音楽活動をしていたようですね。
この時期に、Omoinotakeのベースとなる関係性が作られたようです。
ドラム教室での出会い
藤井怜央さんと冨田洋之進さんの出会いは、松江市内のドラム教室です。
2人とも当時はドラムを担当していたため、演奏や技術について話があったのでは…と想像されます。
ドラムを担当していた2人がなぜ一緒にバンドを組んだのでしょうか?
2012年に結成
藤井怜央さんは2011年に高校卒業後浪人をしており、冨田洋之進さんと福島智朗さんは先に上京していました。
富田洋之進さんと福島智朗さんはなかなか良いバンドメンバーを探すことが出来なかったそうで、藤井怜央さんが浪人中の2011年10月頃に藤井怜央さんをバンドに誘いました。



実は藤井怜央さんはピアノとバレエを幼少期から習っていたんだよ!
富田洋之進さんと福島智朗さんは、藤井怜央さんがピアノが弾けたことを思い出したんだとか…



藤井怜央さんの音楽センスや表現力を知ってるからこそ誘ったんだよね…
藤井怜央さんはボーカルとキーボードとして、2012年4月に藤井怜央さんが上京した時点で「Omoinotake」結成
【Omoinotake】バンド名の意味と由来!なぜローマ字?


「Omoinotake」というバンド名には、どのように決まったのか、なぜローマ字表記なのかが気になりますよね。
実は…
「思いの丈」は、福島智朗さんの好きな言葉だったんだそうです。
思いの丈の意味は…
自分の中にあるすべての思いや感情を出し切ること
どれだけ音楽に感情を込めているか、その思いがダイレクトに伝わるようにバンド名を決めたのかもしれませんね。
福島智朗さんは楽曲の作詞を主に手掛けており、Instagramでのエッセイでは文章力の高さが伺えます。



表現力の高いネーミングはさすがだね!
なぜローマ字表記?
このローマ字表記にしたのも福島智朗さんで…
また、日本人だけでなく海外の人にもわかりやすいバンド名になっています。



活動の幅を広げて海外進出もあるかもしれないね…
Omoinotakeのメジャーデビューまで!下積み時代のエピソード3選


Omoinotakeがメジャーデビューを果たすまでには、長い下積み時代がありました。
2012年にバンドを結成してから9年間、インディーズ活動や路上ライブなど地道な努力を続けていたようです。
そんなOmoinotake下積み時代のエピソードを3つご紹介します。
路上ライブ
2016年頃から都内で路上ライブを始めたOmoinotake。
最初は誰も足を止めず、悔しい思いをしたことも多かったそう。



警察に注意されることもあったんだって!
徐々に人が立ち止まるようになって、最盛期には500人以上の観客を集めたそうです。
アルバムリリース
インディーズ活動中もOmoinotakeは積極的に楽曲制作を行っていて、2017年には初のフルアルバム『So far』をリリースしました。
SNSを使って発信しながら、少しずつファンを獲得していったようです!



着実に知名度を高めていったよ!
「THE FIRST TAKE」が話題に!
Omoinotakeの転機となったのが、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」への出演でした。
2020年5月にでTHE FIRST TAKEに出演したことで、人気が高まりアッという間に、再生数が増加しました。



実力派バンドとしての評価が一気に高まったね!
音楽業界内でも高く評価されるようになった、その勢いでメジャーデビューにつながったのではないでしょうか。
2021年のメジャーデビュー
代表曲「EVERBLUE」や「幾億光年」などがテレビドラマやアニメの主題歌に起用されて知名度が一気に上がりました。
また、2024年の紅白歌合戦に初出場したことで、新たなファンの獲得にもつながったのではないでしょうか。
まとめ|omoinotakeメンバーの出身校は?知り合ったキッカケと結成秘話


- Omoinotakeメンバーの出身校は…
藤井怜央は福島智朗と同じ松江市立第三中学校と思われる
福島智朗は松江工業高等専門学校中退し、上京後服飾の専門学校に進学
冨田洋之進は高校卒業後尚美ミュージックカレッジ専門学校のジャズ・ポピュラー学科に進学
- Omoinotakeは2012年に東京で結成された
- Omoinotakeはメジャーデビューまで9年かかった
以上、omoinotakeメンバーの出身校と、知り合ったキッカケと結成秘話についてまとめました。
また、バンド名「Omoinotake」に込めた想いや、路上ライブからスタートした地道な活動歴も合わせてお伝えしました。
これからの活躍が楽しみですね!
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